1995年1月17日午前5時46分に発生した「阪神・淡路大震災」では、6,433人もの尊い命が奪われました。しかも特徴的なのは「自宅」で亡くなった人が86.6%と圧倒的に多かったことです。「病院」で亡くなった人はわずか3.8%に過ぎませんでした。また、神戸市内では地震発生直後から午前6時までの14分間で約92%が亡くなっています。

このことは兵庫県監察医として死体検案を行った西村明儒先生らの死亡原因の報告書にもはっきりと示されています。胸部圧迫や胸腹部などの「窒息死」と、腹部・頭部・全身の圧座損傷などの「圧死」によるものが約66%を占め、そのほか、建物の崩壊や家具などの転倒や落下などが原因と考えられる頭蓋骨骨折や脳挫傷などの「頭部損傷」、火傷・打撲などによる「外傷性ショック」、「打撲・挫滅症」などを含めると約84%に及びます。「焼死・全身火傷」は約12%でした。また、犠牲者の年齢別構成では、年齢が高い人ほど犠牲になっています。高齢者は通常1階を寝室にしていることが多く、その上に家が崩れてきたのです。20~29歳にも比較的多くの被害者が出ています。主に古いアパートの1階部分を借りていた若者や学生たちでした。

古い家ほど倒壊率が高かった
ではこれほど多くの犠牲者を出した”凶器となった家”とはどんな家だったのでしょうか。この大震災による住家被害は、全壊、半壊、一部破損を含めて約51万棟に及んでいます。そのうち「全壊」は約10万5000棟、約18万6000世帯、とくに地震発生直後に崩壊した建物の多くは、老朽化した住宅やアパートだったといわれています。建築震災調査委員会は、建築年別の住家被害を下図のようにまとめています。
「大破」「倒壊または崩壊」した住宅についてみると、建築年が1971年以前では34.7%、72年~81年では11.7%、82年以降では8.6%となっています。つまり、住宅の建築年によって被害の状況が異なっているのです。古い住宅ほど倒壊または崩壊した割合が高いのに比べ、82年以降の住宅は、それ以前に建てられた住宅よりも被害が少なかったことがわかります。ただし、このデータは限られた地域での結果であり、


 また、建設省(当時)などが現地調査した結果によると、壊れた家の特徴は、古い住宅は1階・2階ともに崩れて全壊した家が多く、比較的新しい住宅は1階だけが崩れて、2階部分が1階を押しつぶした倒れ方が多かったことがわかっています。そして、それらの住宅は具体的に以下のような問題点があったことも指摘されています。
・壁の量が少なかった
・強い壁のほぞ抜け(図)が起こった
・壁の配置バランスが悪かった
・腐朽や蟻害が多く見られた
・瓦葺き屋根で重量が重かった

要するに、倒壊や崩壊した家の多くは瓦葺きなどの屋根が重いにもかかわらず、それを支える柱や壁といった構造体の力が弱い(耐震性が乏しい)上に、老朽化していたということです。逆に、ほとんど被害がなかったか、軽微な被害で済んだ住宅は、
①1981年以降に建てられた住宅、
②耐力壁の量、バランスが適切で、施工も適切な木造住宅、
③ツーバイフォー、プレハブ住宅、
③構造計算が必要になる3階建て住宅、
であるとしています。
 
 

これらの調査結果からわかることは、1981年以前と以後で住宅被害に差があることです。1981年は建築基準法が大改正された年で、それ以降は木造住宅の耐震性が格段に強化されました。この大改正は1978年に起こった宮城県沖地震(マグニチュード7.4)の教訓から行われたものです。 阪神淡路大震災のマグニチュードは「7.3」、神戸市や芦屋市の震度は「7」の激震でした。1981年以前の旧耐震基準で建てられた住宅ほど耐震性が乏しかったことや老朽化が進んでいたことから、震度7クラスの地震の揺れに耐えられずに崩壊あるいは倒壊を余儀なくされたといってもよいでしょう。1981年以後の新耐震基準で建てられた住宅であっても、「大破」「崩壊または倒壊」している事実を認識しておかなければなりません